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実録 モラ夫との地獄のような結婚生活と離婚成立までの壮絶な道のりVol. 7

関西シンママです。

そろそろ離婚準備に入り、暗めの話が続きますが、引き続きお付き合いください。

 

出典:freepik.com

 

 

産後2日目にして離婚を決意

モラ夫は、私と交際を始めた頃、信じられないぐらい私の母に取り入ることに必死でした。

母に気に入られておけば、そう簡単に別れることはないだろう、というあざとい計算と、交際において発生し得る喧嘩などの際に、自分の味方になってほしいという気持ちがあったようです。

 

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私の母のことを、私がそう呼んでいるのと同じように、「ママ」と呼び、自分の親に甘えるように当然の如くタメ口で、失礼極まりなかったモラ夫。

 

それでも母は黙って受け入れてくれていましたが、モラ夫は結婚をきっかけに母に対する態度も急変します。

 

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特にひどかったのが、産後。

 

娘を出産してからの入院期間中、1日だけどうしても仕事の休みを取れなかったモラ夫。

産後2日目だったその日は、母が朝早くから私の好きな果物をたくさん持って見舞いに来て、娘の面倒を見てくれていました。

 

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義両親とは違い、母からすると娘は初孫。娘の誕生を心から喜んでくれ、今でも可愛がってくれています。

 

しかし、モラ夫は、自分が見舞いに行けない日に、母が産院に来ていたことが気に食わなかったようで、LINEにて得意の嫌味の嵐。

 

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モラ夫特有の、私の家族にまで嫉妬する気色の悪い癖Vol.2参照)がまた始まったのです。

 

これからせっかくの家族3人(私と娘とモラ夫)の時間やのに

俺と生活するのか、母親と生活するのか選べ

など、訳のわからないことを宣うモラ夫に、堪忍袋の緒が切れた私は、この瞬間に密かに離婚を決意しました。

 

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精神崩壊

私のことも、娘のことも、自分の所有物、操り人形だと思っていたモラ夫は、産後特に理不尽な嫉妬の矛先を私の母に向けるようになります

 

娘は全然寝ない赤ちゃんだったため、必然的に寝不足が続き、心身ともに疲弊していた私。

 

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そんな時、慣れない育児に困惑する私に手を差し伸べ、家事や娘の世話などサポートしてくれた母に対し、いちいち不満をあらわにするモラ夫。

 

母が娘を抱っこしている姿を見ただけで、「俺の娘やのに気安く触らんといてほしい」とグチグチ言うように。

仮眠を取りたかった私が、母に頼んで娘を沐浴させてもらっていた際も、「俺がやりたかった」だの何だの文句の嵐

 

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そしてついにある日、母が娘の世話をしてくれているときに、モラ夫の嫌な視線を感じ、「私の娘やからもう触らんといて!」と大声で母に怒鳴ってしまいました

本当は、母にたくさん娘を抱っこしてもらいたいし、いっぱい遊んであげてほしいと思っているのに。

 

モラ夫が母に聞こえるように嫌味を言う前に、それに怯えた私が怒鳴ったような形です。

 

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この頃の私は、モラ夫からの絶え間ない嫌味や文句によってメンタルがすり減り、もはや自分で自分の感情がよくわからないようになっていました。

元々の強気な性格は完全に消え失せ、常にモラ夫の目線に怯えて顔色を伺い、全く別の人間になってしまった気分でした。

 

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大好きだった美容も、経済的DVVol.5参照)があったため、全く手をつけないように。

ネイルやマツエクどころか、美容院にすら1度も行かせてもらえず、いつもノーメイクで肌はボロボロ、よれよれの服を着て、憧れていた“綺麗なママ”には程遠い姿でした。

(この間もモラ夫は何度も美容院に通っていた上、サロン専用のヘアケアアイテムも買い漁っていました。ハゲてるのに。)

 

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弟はそんな私の姿を初めて見た時、「あんなに昔から身なりに気を使ってた姉貴やのに、どんなにつらい思いさせられたんや」と泣いていました。

気付かぬうちに、私は第三者から見ると、見た目も中身も変わり果てた姿になっていたようです。

 

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モラ夫が留守中は、やっとまともに息ができるような感覚になり、育児を心から楽しんで、笑って過ごせていました。

それが、そろそろ帰ってくるという夕方5時を過ぎると決まって動機が始まり、強い吐き気に襲われ、食事どころか水分すら喉を通らないような生活。

 

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母乳を作るためだけに無理矢理食べ物を流し込んでいたので、どんなに味の濃いものを食べても何の味も感じず

授乳期間中だったため、薬を飲むことすらできず、モラ夫が家にいる時間は拷問のように感じていました。

 

もう本当に、身も心も限界を超えていました




離婚に向けて

出産を経て、ますますモラ夫の存在が無理になっていた私は、産院からの退院後は同じベッドで眠るどころか部屋に入ることすらやめ、リビングで娘と生活していました。

 

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娘を産んでから2週間が経った2019年8月末のある日、もはや結婚生活に限界を感じ、「離婚したい」と伝えた私。

すると、モラ夫からは

それなら年内に出て行ってほしい。離婚するなら年内に片付けよ

とモラ夫の方から期限を決めてきました。

 

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私からすれば、願ってもいない話。しかし、これはただのモラ夫のしょうもない“意地”でした。

娘を出産した8月の時点で、今年中に離婚、と言うと、私が焦って縋ってくると思っていたようです。読みが外れて残念でしたね。笑

 

 

その翌日は、待ちに待った娘のニューボンフォトの撮影。NY出身の経験豊富なカメラマンさんの撮影ということで、大奮発しました。

 

※実際の写真です

 

マタニティフォト(Vol.5参照)同様、当然費用は私持ち

今回も財布すら持たず、しかも離婚の話をした翌日だというのに、またしてもついて来たモラ夫。行動の意味が全くわかりません。

 

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誰も呼んでいないのに勝手について来ておいて、待ち時間はスタジオのソファの上に靴のまま足を上げて、いびきをかいて爆睡

念のために申し上げると、生まれたばかりの新生児を撮影するために、とても清潔にされているスタジオです。

 

あまりの非常識さに、今回も本当に死にたくなるほど恥ずかしい思いをしました。モラ夫と外出すると、最低一度は大恥をかかされます

 

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撮影時にカメラマンさんの指示で、モラ夫に肩を抱き寄せられたり、額を寄せるカットがあったのですが、自分にはもちろん、娘にも指一本触れられたくなかった私は、思いっきり顔が引きつりました。笑

 

※実際の写真です

 

この日、不安に思った私は、帰宅してすぐにもう一度離婚に対する意思を確認

「ニューボーンフォトの撮影ついて来たけど、ほんまにちゃんと離婚してくれるんよな?」と。

 

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すると、返ってきたのは

わかったけど、いつ離婚届出すのかだけ教えてな。勝手に出されたら困るから

という、よくわからない返答。

 

この言葉の本当の意味がわかるのは、ここから2ヶ月先の話になります。

 

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当時の私は、後の苦労も知らず、「年内に離婚できる」と舞い上がっていました

粘着質なモラ夫との離婚は、そう上手く簡単に進むはずがないのに。

 

次回から、かなり話がゴタゴタになっていく予定ですが、全ては理解し難いモラ夫の行動のせいだということで、どうかご容赦くださいね。笑





 

【Profile】 ごく普通のシンママ

90年代生まれのアラサー。関西在住。2019年に愛娘を出産。美容と音楽と旅行が大好きな元パリピ。趣味は娘の服やおもちゃを個人輸入すること。

地獄より過酷な結婚生活から7ヶ月で脱獄し、調停離婚。離婚成立した現在も不毛な恋愛経験を更新中。笑

 

 

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