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実録 モラ夫との地獄のような結婚生活と離婚成立までの壮絶な道のりVol. 8

関西シンママです。

今回からモラ夫の粘着質な性格が炸裂。離婚届に署名させ、別居に至るまでを振り返ります。

 

出典:freepik.com

 

 

離婚届に署名させるまで

モラ夫とはもともと価値観が合わなかったため、同居を開始した時点から会話がなく、家庭内別居の状態。

入籍こそしているものの、甘い新婚生活とは程遠く、最初から関係は破綻しきっていました

 

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初めの方こそ、何とか乗り越えるべく、コミュニケーションを取ろうと頑張っていた私ですが、自分のことしか考えていないモラ夫とは全く会話が成立せず、諦めるように。

 

初めに離婚の話を切り出したのは私。2019年8月末に離婚したいと口頭で伝えたところ、モラ夫は年内の離婚を約束してくれました。(Vol.6参照)

 

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しかし、その話し合いの日を境にモラ夫がほとんど家に帰ってこないようになり、帰ってきたとしても夜中で、さらにすぐに部屋に閉じこもるので、なかなか話が進まず

 

そのまま日が経ち、10月初旬、やっと帰宅したモラ夫と再度離婚についての話し合いの時間を設け、娘の親権も私が持つことで双方同意

一日でも早く離婚したかった私は、浮気には気づいていましたが、慰謝料も養育費も一銭も貰わないことを条件に出しました。娘さえ居てくれるのであれば、他には何も必要ありません。

 

※実際の写真です

 

そして、1週間後の10月17日。

役所まで離婚届を取りに行った私は、項目の全てに記入をし、あとはモラ夫の署名と捺印を得るだけの状態にして帰宅を待ち構えていました。

 

帰ってきた瞬間、すぐに部屋に篭ったモラ夫。話をしようにも鍵をかけていて出てきてくれません。

部屋のドアの外から声をかけても、聞こえないふりをして応答なし

 

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1時間以上そんな状況が続き、怒りで頭がおかしくなった私は、抱いていた娘をベビーベッドに置き、部屋に思いっきり飛び蹴り

モラ夫はそれでもドアを開けてくれないので、工具を引っ張り出してきて無理矢理ドアをこじ開けました

 

“どうしても、一刻も早く離婚したい”という強い意志が私を突き動かしたのです。笑

 

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ドアを開けると、ベッドの上に腰掛けていたモラ夫は、とても驚いたような、落ち込んだような、何とも言えない顔をしていました。

そこに、間髪入れず記入済みの離婚届を突き出した私。

 

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「あとはここに署名して、捺印するだけやから」と伝えても、ボールペンがないだの、印鑑がないだの、くだらない理由をつけて応じようとしないモラ夫

 

その月の初旬に離婚や親権について同意していたにもかかわらず、時間稼ぎをしようとしていたのです。

 

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しかし、そこらへんは抜かりない私。そんなことだろうと予想がついていたので、当然ボールペンも印鑑も、バッチリ用意しておきました。

 

「これ使ってくれたらいいから」と、ボールペンと印鑑を投げつけたところ、ようやく観念したモラ夫は離婚届に震える手で署名し、捺印。

 

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しかし、Vol.6での話し合い同様、ここでまたモラ夫に

離婚届いつ出すのか教えて

と言われたため、私は馬鹿正直に「明日役所に離婚届出しに行ってくる」と言ってしまいました。

 

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この後の苦労を思い返せば思い返すほど、本当にこの瞬間の自分を殴りたい気持ちでいっぱいです。

人に言われたことを何の疑いも持たずに受け入れてしまうのが、私の悪いところだと自分で思います。

 

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まさかの不受理申請

忘れもしない2019年10月18日。

離婚届に署名捺印させた翌日のこの日、産後の子宮頸がんの検査に引っかかってしまった私は、再検査のために朝から娘を出産した産院に行っていました。

産院は隣町にあり、  離婚届を出す役所まで片道約1時間はかかります。

 

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せめて通院を別日にして朝一で役所に行っておけばよかったのに、、、

産院はなかなか予約が取れない人気のクリニックだったので、再度予約を取り直すのが面倒で、「通院の後で役所に行けばいいや」と甘く考えていました

能天気な自分を恨んでも恨みきれません。

 

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というのも、私が通院している隙に、仕事に行くふりをして家を出たモラ夫が、役所に離婚届の不受理申請をしていたのです。

私が子宮頸がんの再検査で通院することを知っていて、一切心配する様子もなく、逆にこれをチャンスだと思っていたようです。

 

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そして私がこのことに気づいたのは、通院の用事を片付け、ようやく役所に到着した15時ごろ。

生後2ヶ月の娘を連れて、抱っこ紐で1時間、猛ダッシュで役所に向かいましたが、到着した頃には時すでに遅し

 

離婚届を提出した瞬間、窓口の方に「相手方から不受理の申請が上がっている」といわれた時には、本当に目の前が真っ暗になりました。

 

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すぐにモラ夫に電話するも、繋がらず。LINEもこの日から10日経過し、私が別居先に引っ越すまで一切既読がつかず

同日からモラ夫は1度も家に帰ってくることはありませんでした

 

別居に至るまで

離婚届を提出するまでの間、私が「離婚したい」という言葉を口にするたび、

それなら今週中に出て行け。

そんなに別れたいならもう明日までに出て行け。

俺が家帰ってくるまでに出て行っとけよ。

など、無理だとわかっていながら執拗に圧力をかけてきていたモラ夫。

 

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無理難題を押し付けると、私が謝って縋ってくるとでも思っていたのでしょう。夢を見るのは寝てからにしてほしいですね。笑

 

物件探しをしていることがモラ夫にバレたら確実に邪魔をされるので、私は細心の注意を払いながら内密に別居の準備を進めていました

 

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ただ、ありがたいことに、この頃のモラ夫は滅多に帰宅することはなかったため、私が物件探しで頻繁に外出していても、そう簡単にはバレませんでした。

 

“京都人”の嫌な部分だけを煮詰めたようなモラ夫と出会ったことにより、京都という土地そのものが大嫌いになった私は、地元に戻ることに。

 

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弟にも協力してもらい、10月中旬に物件の契約に成功。1日も早く入居したかったため、内覧に行ったその日に契約を決めました。(別居先の物件を決めたのと離婚届に記入させたのは同時期の話です)

 

しかし、地元から京都の自宅までは片道2時間半

契約の手続きを済ませて自宅に帰る頃には20時を回っており、何かを察知したのか、こんな日に限って帰宅していたモラ夫

 

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部屋を真っ暗にして息を潜めて待っていたモラ夫に、別居先が決まったことを悟られてはいけない、と必死に普段通りを装い、なんとか事なきを得ました。

 

その後も、離婚届の不受理騒動からモラ夫が帰宅しないのをいいことに、急ピッチで荷造りを進めていき、10月26日に無事京都からの脱獄に成功

 

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生後間もない娘を連れての物件探しや荷造りはとても大変でしたが、本番はここから。

次回からいよいよ調停編に突入し、もう少しでようやくこのクソ男と決着がつく予定です。




 

【Profile】 ごく普通のシンママ

90年代生まれのアラサー。関西在住。2019年に愛娘を出産。美容と音楽と旅行が大好きな元パリピ。趣味は娘の服やおもちゃを個人輸入すること。

地獄より過酷な結婚生活から7ヶ月で脱獄し、調停離婚。離婚成立した現在も不毛な恋愛経験を更新中。笑

 

 

 

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