花粉症で毎日瀕死の関西シンママです。
今回は出産編。主に出産レポと義両親とのバトルを振り返ります。
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愛娘の誕生
結婚生活開始早々から、ほぼほぼ家庭内別居の状態にあった私たち夫婦。
触れられたくもなかった私が、結婚生活中に夫婦生活の相手をしたのはたったの2回だけ。性欲の強いモラ夫は、隠れてこそこそスマホをいじる時間が増え、浮気をしていました。
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臨月に入る頃には、明け方まで帰ってこないことが多くなっていたモラ夫。
正産期に入り、いつ産まれてもおかしくない状態だったので、「破水も陣痛もいつ来るかわからんから、生まれるまでは遅くまで出歩くの控えて」と伝えましたが、当然聞く耳は一切持ってくれませんでした。
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そうこうしている間に刻一刻と近づく出産日。
真夏の出産のため、暑すぎて外は危険なので、担当医から産院近くのショッピングモールをたくさん歩くように言われていました。
真面目な私は先生の言いつけを守り、モラ夫が留守中にショッピングモールをひたすらぐるぐるしていたところ、前駆陣痛が始まりました。
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痛みを堪えながらモラ夫に連絡を入れるも、繋がらず。
仕方がないので義両親に連絡したところ、お灸を据えられたモラ夫は、家で退屈そうに待機していました。
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しかし、なかなか本陣痛につながらず。
と、モラ夫から無茶振り。
前駆陣痛でも歩けないほどの痛みを伴うので、本気で殺意しか芽生えませんでした。
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そんなモラ夫は、出産当日、夜中から激しい陣痛に襲われていた私を横目に、自分の部屋に籠り、大きないびきをかいて爆睡。
妻が陣痛に悶え、尋常ではないほど奇声をあげて発狂していても、平気で放置して熟睡できるクソモラ夫です。笑
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冷や汗ダラダラで陣痛に耐えている私の腰をさすってくれたのは、モラ夫ではなく実母でした。
何とか5分間隔を切るまで夜通し自宅で耐え抜き、明け方5時ごろに限界を察知。
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自分で産院に電話をかけ、産院に着いたときには子宮口は5cmまで開いており、そのまま入院。
すぐにお腹にNSTをつけられ、陣痛の波をチェックするも、だんだん微弱陣痛に。
“微弱”と言葉ではいえど、息をするのも苦しいほどの激痛に悶えているというのに、NSTの数値を見ては
と言い出すモラ夫。
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もはやモラ夫の顔を見るのも声を聞くのも嫌だったので、分娩室から追放しました。
助産師さんが促進剤の準備をしていると、空気を読んで降りてきてくれた娘。
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そして2019年8月吉日、12時42分。予定日から6日遅れてギリギリ妊娠40週で待望の愛娘を出産。
モラ夫から難産になるよう謎の呪いをかけられていた私ですが、初産の割には、なかなかの安産で済みました。笑
※実際の写真です
やりたい放題の義両親
無事に娘を出産し、満身創痍の私。
実母ですら気を使って早めに帰宅してくれたというのに、義両親が面会に来たのは、なんと産院で決められた面会時間を大幅にすぎてから。
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義母は専業主婦であるにもかかわらず、私の母と顔を合わせたくないからと言う理由で、あえて母が確実にいない「面会時間終了後」の時間をめがけて、義父と一緒にやってきたのです。
モラ夫には、「産院に迷惑がかかるので、なんとか義両親を来ないように説得して」と伝えましたが、返ってきた返事は
どこまでも自分勝手な親子です。
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産院には、私と同様に出産を終えたばかりの方や、今まさに陣痛に耐えている方など、心身ともに不安定な妊産婦の方々がたくさんいらっしゃいます。
ご家族は皆さん面会時間を守られているのに、私の義両親はと言うと、、、夜中遅くに押しかけてきた挙句、新生児室に預けて寝ていた娘を勝手に連れ出して、私の部屋まで来たのです。
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モラ夫も、産院から禁止されているというのに家に帰ってくれず、勝手に私の入院している部屋に泊まり込み、やりたい放題。
一家揃って、出産直後の嫁の身体を気遣う気持ちなど微塵もありません。
義両親が面会時間を破り、勝手に新生児室に出入りをしたことにより、助産師さんからこっぴどくお叱りの言葉を受け、顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしました。
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さらに、退院日には大量の菓子折りを持参した義両親。(お医者さんや看護師さんに菓子折りを渡すことは、大阪ではご法度ですが、京都では普通だそうです)
義母から「〇〇ちゃん(私)、これ看護師さん達に渡しといて」と言われ、私も嫌味で「気遣いが足りず、申し訳ありません」と返したところ、恐ろしいほどにっこりと笑みを浮かべながら「いいねんいいねん、その子(娘)は〇〇家(義実家)の子やから」と驚きの一言。
モラ夫にしても、義両親にしても、分娩費用すら一銭も出さないくせに菓子折りは大量に持ってくるという見栄っ張りなところに虫唾が走りました。
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私が命懸けで産んだ娘です。義実家のために産んだわけではありません。しかし、私のことも、娘のことも、自分達の所有物だと思っていた義両親とモラ夫。
結婚することが決まった日を境に、私と娘は完全に人権を奪われていました。
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命名をめぐる壮絶な戦い
娘がお腹の中にいた頃から、名前を決めていた私。
由来は、私の名前の漢字を1文字取り、その漢字を意味する外国語と、ある宝石の名前から。
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モラ夫からはセンスがないと罵倒されましたが、私は娘にこの名前をつけて心から良かったと思っています。
しかし、この名前で出生届を出すまで、義両親との壮絶な戦いがありました。
義両親が信仰している新興宗教(Vol.5参照)に、ここで最も苦しめられることになるのです。
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出産前から、娘の名前をこの名前にしようと思っている、とモラ一家に伝えていた私。
その当時から「“教祖様”に見てもらわな名前は決められへん」と、義両親に言われていましたが、「私が命懸けで産む娘の名前なので、私がつけます」と断言していました。(ちなみに、モラ夫を含む義両親の子ども4人と、モラ夫の姉の子ども2人の合計6人の名前は、全てその“教祖様”が命名。)
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命名は、親として子どもにしてあげられる最初のプレゼント。
その命名を、義両親のように自分の意志で他人に考えてもらうのは勝手ですが、私は自分が母にそうしてもらったように、きちんと意味のある名前をつけてあげたかった。
そして、娘にも私のように、自分の名前を気に入ってほしかった。だからこそ、時間をかけて考えた名前をどうしてもつけたかったのです。
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娘の命名についてはお互い譲るつもりがなく、話しても平行線なので、しばらく話題に上がることがなくなっていました。
そして迎えた出産当日。
義両親は、面会時間を大幅にすぎた夜中遅くに産院に来たと思えば、なんと娘を出産したまさにその日に、勝手に大金を包み(命名に必要な費用だそう)、娘の産まれた日時と時刻を書いた紙を持参し、“教祖様”の元に行っていたのです。
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この事実については、“教祖様”の命名診断の結果とやらが出た、私の退院日の夜に発覚。
義父との実際のLINEのスクショを公開します。(白:義父 / ピンク:私)
“教祖様”曰く、娘の名前の漢字がダメなのだとか。
しかし、私はNGを出されたその漢字にこそ、意味を込めていたので、絶対に変えるつもりはありませんでした。
そして義父からまた出た「〇〇家(義実家)の子」発言。私はもう我慢の限界でした。
義両親に搾取をされるために娘を産んだわけではありません。
宗教についても、強要をしないでほしいと改めてここで伝えました。それにより、何とか義父を黙らせることに成功。
しかし、このLINEの後で夜中に自宅まで押しかけてこられ、命名についてしつこく理不尽なことを言われたことにより、ストレスで母乳が止まってしまった私。
娘はミルクが嫌いで飲んでくれなかったので、お腹を空かせて眠ることもできず、本当に可哀想なことをしました。
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翌日に無事私がつけた名前で娘の出生届を出すことができた時には、心の底からほっとしました。
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次回からいよいよ結婚生活の終盤戦。
重めの話になっていきますが、引き続きよろしくお願いいたします。
【Profile】 ごく普通のシンママ
90年代生まれのアラサー。関西在住。2019年に愛娘を出産。美容と音楽と旅行が大好きな元パリピ。趣味は娘の服やおもちゃを個人輸入すること。
地獄より過酷な結婚生活から7ヶ月で脱獄し、調停離婚。離婚成立した現在も不毛な恋愛経験を更新中。笑